庭石の本場に生きる【Episode01】
このページを見れば あなたの知識は、もう、プロの世界です。
※このページは、先代 櫻井武信が書いた物をそのまま使っています。従って文中の「先代」は「先々代」になります。
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庭石屋さん 発祥の地
三波石(さんばせき)は 江戸時代からも有名だったと云われ、三波石峡の在る鬼石町(おにしまち)は『石の町、鬼石町』と呼ばれました。
庭石業は戦前からもあり、昭和27年には 組合方式で神流川や三波石峡からも石を上げて居りました。
庭石屋さんは どの様な過程で存在して来たのでしょうか。後には国のダム建設にも遭い、その様な中で都会から最も近い庭石の産地と云われ、又 庭石の本場と云われ、広く知れ渡りました。
そこには先人達の先見と思案と技術がありました。
希望と冒険
石が売れる! 石が金に成る! そんな言葉が飛び交い 川の石をトラックに積み都会に売りに行くと云う
変った商売が流行り、三波石はきっとイイ商売に成る! 大当たりする!
始りの多くは、一攫千金の冒険者達では無かったのでしょうか?
石の好きな父(先代) |
↑神流川 採石現場、女房岩 |
写真右、三波石峡より更に上流、神流川の採石現場です。(巨大な三波石の窪みの有る石、居心地よさそう~ 今はダムの底)
先代は早くに石屋に成った友人に頼み、神流川の色々な三波石を数多く集めました。その事で良く 川に行っておりました。
三波石峡に 問題、勃発?
庭石屋さんにとって大きな問題が起きました。
「神流川の風光明媚な三波石峡を守ろう」と昭和32年7月3日三波石峡や地域一帯が総体的に三波石と指定され、
三波石峡全長1.5k間は国指定の天然記念物として採石は禁止と成りました。
三波石峡、採石禁止、その後?
三波石峡の採石禁止以降、その下流・上流・又更に上流に見事な三波石は数多く産出され、様々な石を三波、何々石と呼び
三波赤石『ま石』、扇屋石他多数三波石を代表する青石は、青・青石・三波青石 、
又は『本三波 (ホンサンバ)』と云いました。
商号『叶造園(かのうぞうえん)』
昭和38年 庭石、採石場所、神流川に以前から国で建設案のダム建設決定と成り、先行きは不安と期待の中、
翌39年当時19才の私も自動車の免許を取り、父に手伝い始めました。
家号を参考にした『叶造園』の名前もこの頃からでした。
石の積み方は重要
あの頃の石の積込は、木の三又とチエンブロックを使う大変な労働でした。
トラックに積んだ石が走行中、揺れ、はづみ、振動などで動かぬ様、安全に走れる様、板木(ばんぎ)でしっかりと
固定しなければ成りません。売り先は 東京方面が主でした。
三波石、東京~東京~
この頃は未だ田舎の方ではあまり豊かでは無かった時代でした。
然し、日本経済の中心、東京は違いました。歌謡曲まで東京~東京~の時代でした。 懐かしい話しです。
東京は金回りが良かったんですね~ 三波石も、東京~東京~だったんですね~
三波石の池、防火用水にも
東京多摩のお客様から、三波石で池を造って欲しいとの事でした。池造りは 父の得意中の得意でした。
父の防火用水を兼ねる池の発想にお客様は満足の様でした。
大変な仕事なので他の人を頼んでの風景です。多摩って広いお庭が多いんですね~
高度成長の波に乗る、三波石
高度成長に伴う建築ブームで、庭を綺麗にする家庭が増え、石も大分要り用でした。
父と私で仕上げた大きな庭園工事の作業風景です。東京、多摩でした。
写真、中央が父(先代)です。お尻を向けているのは私、武ちゃんでした。
ブームに泣く、石屋さん
昭和38年から始った建設中のダム工事も進捗状況順調にて、庭石組合の石屋さんも神流川での採石に拍車が掛かりました。
父は東京で待っているお客様に間に合わないからと、組合員の方に良い石を運んでくれと良く頼んで居りました。
下久保ダム、完成
昭和43年 神流川の中間、旧鬼石町譲原に在る天然記念物『三波石峡』の上流に東京の水がめ、下久保ダム、別名神流湖が
完成、それと同時に石屋さんの採石場所も湖底に沈んでしまい採石は不可能。
以前から承知の大きな、変革の歴史でした。
涙と感動の先人達
転業の方も居りました。然し多くは更なる好機を夢に存続の道でした。
三波石を大量に採石した方も居り、又力強く民有地やダム上流の隣町やその隣村で、神流川での三波石、採石や入手の方も
居りダム完成後も石屋さんの数は、増加傾向した。
更なる転機
時代は地方も発展し始め、父は東京が増え近くなった、イイー言葉でした。
そんな訳で埼玉や県内にも行く様に成り、お客様や業者の方が ダムや石を見に来られる様にも成りました。
↓先代、右:造園業の方の庭石の注文、奥:24才の私 通称 武ちゃん。
力道山の語り草
以前から色々な話が、どこかの石屋さんが力道山の家に売りに行き、値段は5万なので片手を広げたら、
50万貰って来たと云う、ひどい話しです。
それが本当なら、誰でもやりて~俺もやる!私もやるわ! どこの石屋?バカらない、いや分らない 語り草です。
猫もしゃくしも
鬼石町に住んでるからには、一度は石屋を遣ってみなけりゃー気が済まねえー、その感じ大いに有りでした。
鬼石町周辺の石屋さんの数も、千軒位に成り、正に石屋さんの数も『高度成長』その物でした。
国道462号沿いに拡張の 叶造園庭石展示場です。
庭石の本場
鬼石町は、都会から最も近い庭石の産地として、又、庭石の本場として全国に知れ渡りました。
そして...数年前より全国に庭石の産地も現れ、四国や北海道の業者からも『石の町、鬼石町』に石を置かせて欲しい、との
依頼もこの頃からでした。